最高裁判所第二小法廷 昭和44年(あ)914号 決定 1969年10月15日
旧本籍
台湾省台中県員林区二水庄三六三番地
住居
大阪市北区天神橋筋五丁目九番地
遊技場等経営
武村森吉こと
李敬治
大正七年四月二二日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四四年三月二五日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人伊場信一の上告趣意第一点は、事実誤認の主張であり、同第二点は、単なる訴訟法違反、事実誤認の主張であり、同第三点は、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。また、記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)
昭和四四年(あ)第九一四号
被告人 李敬治
弁護人伊場信一の上告趣意(昭和四四年五月三一日付)
第一点 原審判決は重大な事実の誤認に基いたものである。
蓋し
一、先づ第一にパチンコ店三福の経営主体が被告人ではないとの弁護人の主張を斥けた理由として
(イ) 黄土宝の検察官に対する供述調書中の「三福の設備等一切を、三五〇万円で被告人に売渡した。被告人は、私の後を引継いで三福を経営しているが、私は機械の技術面を見ており店の経営には一切関係しない」との供述を挙げているも、右三福の店舗は原審認定の通り黄土宝が被告人(実際は被告人の妻李氏桃である)から月一五万円で賃借していたものであれば、右賃貸借を解除するに当って店舗の賃貸人に三五〇万で売り渡したとは何を一体売り渡したのか誠に奇怪至極な事と言うべきで右売渡し物件が賃借権を含まず黄土宝所有の設備であると仮定しても、パチンコ店における設備とはパチンコ機械以外には手洗設備位のものに過ぎない。
果して然らば三福における当時のパチンコ機械据付台数は、壱百拾五台であり、当時の新品機械壱台の仕入価格は四千円(全国共通)である。
然してその償却期間は約六ケ月であるが業界の通例とするところであるので、黄土宝の自主経営が仮に原審認定の通り三ケ月であつたとしても償却額が半減した機械壱台の時価は約弐千円である。果して然らば黄土宝が被告人に売渡したと称するパチンコ機械の総額が弐拾参万円に過ぎない。
謂んや黄土宝が、三福の立退を決意するまでに約壱年を経過しているので右機械の評価価額も零に等しい。
さすれば黄土宝の前記調書記載の三五〇万円の売渡しとは右設備ではなくその殆どが賃借権の価額と解さない限り到底理解し難いところである。そうだとすれば、右三五〇万円は弁護人主張の通り立退料である事が明白となる。
原審は「一〇〇万円の貸借について借用証書も作成しないような親しさでありながら僅か一年足らずの間の賃借営業で……四〇〇万円もの立退料を要求するということ自体不自然である」と判じているも原審援用の三五〇万円で賃借権を賃貸人に売り渡したとの黄土宝の陳述こそより以上に不自然と言うべきである。
凡そ一年はおろか一、二ケ月の賃借でも賃借人に賃借権が発生する事は論ずるまでもないが、放外な賃借料の値上に立腹した黄土宝が四〇〇万円の立退料を要求したとしてもこれを不自然と断ずることこそ世間一般の慣例を無視したものである。
これを要求するに弁護人主張の「立退料」と原審判示の「売渡料」とは名称の差こそあれ実体は、賃貸借解除による明渡代金に過ぎなく両者の差は五〇万円の金額に過ぎない。
(ロ) 原審引用の収税官吏作成の被告人に対する質問てん末書中の「三福を自分の名前にしなかつたのは、二つに分割すると所得税が安くなるからである」との供述は、当該収税官吏が勝手に作文したものであつて、被告人が右の如き陳述をした事実は絶体にない。
(ハ) 同証人吉岡幸重の第六回公判に於ける「捜索の当時被告人の自宅に三福パチンコ店の三ケ月間の収入を書いた記録があつた」との供述は、三福の経営主体が被告人であるのではないかと当時疑わしめた動機になつたと推認し得るに過ぎない。
右は弁護人主張の通り当時三福パチンコ店の前記立退料の資金を積立てしめるため被告人が、三福の一切の収支を管理していたため右記録が被告人の自宅にあつたとしても敢て異とするに足りない。
(ニ) 原審は
「昭和三九年六月二六日(第一五回公判期日)に至つても五〇〇万円の和解金の処置について話合も行われていないなどあいまい且不自然」と断じているも、当時までに右和解金の蓄積が出来ていなかつたため、具体的話合が行われなかつたのは当然の事であり、仮に具体的話合をするとすれが被告人がいつ右和解金を支払うかの話合であろうが黄土宝を巧みに利用してその稼ぎが和解金額まで蓄積しない限り右支払方法の話合を避けているのが被告人の偽らざる心情であつてこれを疑問視した原審はこの種商人の狡猾な心情に疎いためであつたと思われる。
二、第二に申告洩れ所得金額に誤があるとの弁護人の主張を斥けた理由として
(イ) 三井銀行堂ビル支店の五〇〇万円の無記名定期預金につき、収税官吏作成の進藤すみ子に対する質問てん末書中「……この外には銀行預金や不動産などは何もない」旨の供述を引用しているも、右は該収税官吏の恣意的な作文であつて進藤すみ子が右の如き供述は絶対にしていない。
(ロ) 地上権の取得価額の点について「建物を使用する目的はなく敷地を利用する目的で購入した場合は、右建物代金は土地利用権取得のために支出されたもの」との判示は誤れるも甚しい。蓋し第一に
右判示は世間一般の不動産取引慣習を著しく無視している。
成る程買主側の心理的動機は判示の通りであるかも知れないが、凡そ建物の売買の場合は建物の新旧、材質、面積その他の評価によつて建物自体の取引相場が独立的に決定されるものであり、地上権は建物と別個に当該場所に応じて客観的な取引価額基準が存在していてこれに応じて取引されるので一般的慣習である。
判示の如く買主の心理的動機如何によつて或は地上権に一括計上されるかと思えば、他方では二者分離計上される如き曖昧な処理は経理原則として到底認められないものである。
(ハ) 幸河徳治に対する支払金二〇〇万円について原審は「建物の価値を増加させるために支払われたものであるから当然建物の取得価額に計上すべきものである」との判示に到ては牽強附会も甚しい。仮に判示の趣旨が正しいとすれば「隣家との仕切りを完全に切り離す」事自体果して右二〇〇万円の建物価値の増価となつたか否かが問題とされなければならない。
抑も本件二〇〇万円は被告人の買受けた建物の改築又は増築費ではなく、隣家幸河徳治の建物損壊の復旧改造費であつて、仮に建物の価値を増加した事実があるとすれば、被告人の建物にあらずして幸河の建物である筈である。
原審判示の如くんば、控訴趣意書(第四項(ロ)の(2))に於て弁護人が主張した通り建物建築中に第三者に対して与えた損害金の賠償は総て該建物の価値を増加せしめる事となり奇怪至極な結果となる。
三、以上の通り原審は、判決に影響を及すべき重大な事実の誤認によるものであつて、刑事訴訟法第四一一条第三号に該当する。
第二点 犯意について
一、控訴趣意書に於ける弁護人の主張点以外に原審は、被告人の検察官に対する供述調書及び収税官吏に対する被告人の質問てん末書等における被告人の供述と仮装名義の銀行預金の事実とを理由として「包括的な脱税犯意の存在を認めるに十分」と判じているも、前段の被告人の供述は憲法第三八条第三項に徴しこれのみを以て犯意を認定し得ないし、後段の仮装預金はその殆どが被告人の自発的申出によつて国税当局が認知したものであつて、脱税の犯意を認めるに足る情況証拠に乏しい。
二、鄭樹勲の供述調書が第四回公判期日に弁護人の同意の上取調べられたものであると判示するも。右は無条件の同意ではなく「任意性を争う」旨を明確に条件として主張しているものである。
三、高田会計事務所の税務署申告後の被告人の承諾は一切の数字を同事務所に一任していた被告人が申告額を高田事務所から教えられる程度であつたに過ぎない。
四、これを要するに、被告人の犯意を認定するに足る証拠力が乏しいものと思われる。
第三点 量刑について
百歩を譲て強いて被告人に脱税の犯意が認められると仮定しても「未必の犯意」であつて、原審の認定する如き計画的な犯意は到底認められない。
加之原審認定の過去の被告人の納税実績及び本件発生後の良心の苛責による逸早き納税行為等の諸事情に照し原審の量刑は著しく不当であり、刑事訴訟法第四一一条第二号に該当するものと信ずる。
以上の次第であるので、原審は破棄を免がれないものと信じ御庁の御判断を求める。
以上